途方もない

考えたことについて書くブログ

変化と小さな死とカフェ

このカフェは暖かいけどすこし空気が薄い。カモミールティーを注文して飲むと、意識がうすれがちになる。そこで氷水を飲むと新しい空気を吸いこんだような気がする。水は酸素と水素。体にとりこまれていくのを感じる。おいしい。やっと落ち着く。もう夕方なので隣の席の客がハートランドを飲んでいる。いいなあ。

 このごろとみに自分が変化する、という実感と予感がある。今、妊娠8ヶ月。自分の体が変わっていき、自分にひどく近い存在の生き物が生まれる。今も胎内でかなりの存在感を明かりのように放っているし、このまま、うまくいけば。

毎日の過ごしかたが変わる。すでに変わっているれけど、さらに。
わたしは今新しいものが生まれ、始まっていく時だ。
しかしどうも、時折頭に浮かぶのは死のイメージ。
出産で死ぬこともあるから、とかではおそらくなくて、だんだん大きくなっていくお腹を見つめ産後の今と違う生活を想像すると 、だんだん自分が死んで行っているんじゃ?という気がする。暗い話ではない。十分生きたよ今までのわたし。ここらで小さい死を迎えてもいいだろうよ、という話だ。

出産に限らず、転職とか男の人と別れるとか、過去にも小さい死はあったかもしれない。たとえば結婚するとき、東京から東北地方へ移住したときもそういう感じはした。
まだなにもわからないのにもう戻ってこないという予感があった。
自分を取り巻く人が変化し、一緒に住んでる人との距離感が変化する。望まないところまでついでに変化してしまう。移住してし ばらくは、だんだん自分が死んでいっている気がした。
あのときはこれまでの自分が結構景気よく死んでいって、新しいものはしばらくしてから生まれたような気がする。もうずいぶん 前のことだ。

今も、生きてるのに、ざくざくと死んで行ってる。そんな感じがする。
結構気持ちがよくて不思議。